エコロキアとはコラム

余白を大切にするという選択──不便と感じるか、心地よいと感じるかの分かれ道

紅葉した山を背景に停車する赤いルノー4GTLの外観写真 エコロキアとは
古く見えるけれど、1989年式。時間を重ねながら付き合える、ちょうどいい余白を持ったクルマ。

エコロキアは、なぜ「ヘンテコな営業車」を使っているのか

「効率が悪いですね」と言われることについて

エコロキアの営業車として、古いベスパやルノー4GTLに乗っていると、かなりの確率で同じ質問をされます。
「どうして、そんなクルマ(バイク)を使っているんですか?」
もう少し踏み込んで言われると、
「仕事なら軽バンの方が楽でしょう?」
という言葉になることもあります。

確かにその通りです。
積載量、燃費、快適性、信頼性。
どれを取っても、現代の軽バンや軽トラの方が圧倒的に優れています。
この点について、反論するつもりはありません。

それでも選ばない理由がある

それでも、エコロキアはあえてそうしない。
それは単なる変わり者アピールでも、目立ちたいからでもありません。
エコロキアという仕事そのものが、効率だけを最優先にする価値観の上には成り立っていないからです。

ルノー4GTLのシンプルなメーターとハンドルまわりの内装
情報過多ではないからこそ、クルマの状態が自然と伝わってくる。

この営業車の選択はエコロキアが「どんな気持ちで仕事をしているのか」を一番分かりやすく表している存在だと思っています。

エコロキアが大切にしている「余白」という考え方

余白は、不便と紙一重

僕個人として、そしてエコロキアとして、ずっと大切にしているキーワードがあります。
それが「余白」です。

余白があるということは、完成されすぎていない、ということでもあります。
そのため多くの人にとっては、

余白=不便

と感じられることがほとんどです。

実際、余白は便利ではありません。
考えることが増えますし、判断を求められる場面も多くなります。

余白が大きすぎると、楽しめない

ただし、ここで重要なのは余白の「大きさ」です。

僕自身も、余白があまりにも大きすぎると、正直うんざりします。
何から手をつけていいか分からない状態や、自分の技量や時間を明らかに超えている余白は楽しさではなく疲労に変わります。

だからエコロキアが大切にしているのは、「余白そのもの」ではなく自分がちゃんと関われる余白です。

無垢フローリングと天然木が持つ、ちょうどいい余白

完成品ではないからこそ関われる

エコロキアが無垢フローリングやウッドデッキ、レジンテーブルといった天然木を扱っているのは、素材としての美しさだけが理由ではありません。

無垢材は貼ったら終わり、置いたら完成、という素材ではありません。

  • 湿度や季節によって動く
  • 使い方で表情が変わる
  • 手入れ次第で寿命が大きく変わる

これらはすべて「余白」です。

放置できないが、理解すれば扱える

天然木は、放置すれば問題が起きます。
しかし、専門家でなければ一切触れないほど難しい素材でもありません。

  • なぜ動くのか
  • どこまで許容すべきか
  • どこからプロに任せるべきか

この判断ができる余白がエコロキアの考える「心地よさ」です。

古いベスパに見る、余白の選び方

見た目は古く、中身は現実的

僕が10年以上乗っているベスパは外見だけを見ると1950年代の Vespa VL1T、いわゆる「スワンネック」のように見えます。

ウィンカーもありませんし、バックミラーもありません。
現代の感覚で言えば、かなり不便な乗り物です。

しかしエンジンは Vespa PX150。
1980年代の設計で、信頼性が高く、今でも部品が手に入ります。

余白を「全部引き受けない」という判断

このベスパには見た目や操作感といった余白は残っていますが、走る・止まる・壊れないという部分の余白は、極力小さくしています。

青緑色のベスパに木箱を載せたクラシックスタイルのスクーター
見た目は1950年代、中身は1980年代。手に余らない余白だけを残した、10年来の相棒。

つまり、自分が引き受ける余白と、引き受けない余白を切り分けているということです。
これは、エコロキアの仕事の進め方ともよく似ています。

ルノー4GTLという、ちょうどいい営業車

古く見えるが、極端に古くはない

このルノー4GTLも多くの人から「かなり古いクルマですね」と言われます。

ただ実際は1989年式。
1960年代から作られているモデルというだけで、現実的な視点で見れば、まだ扱える範囲にあります。

現在ではパーツは海外通販で比較的簡単に手に入りますし、情報もそれなりに揃っています。

手に負える余白と、手に余る余白

このクルマでは、内装を自分で張り替えました。
構造が分かりやすく、結果も見えやすい内装は、僕にとって「手に負える余白」でした。

キャメル色のビニールレザーで張り替えたルノー4GTLの内装シート
内装は手に負える余白。妥協せず、プロクオリティで張り替えたキャメル色のシート。

一方で、エンジンやキャブレター調整は違います。
ここは明らかに手に余る余白なので迷わずプロに任せています。

全部を自分でやらない。
それもまた、余白と正しく付き合うための判断です。

エコロキアらしさは「余白の引き受け方」に表れる

不便を楽しむ=何でも自分でやる、ではない

エコロキアが掲げている「不便を楽しむ」という言葉は、とても誤解されやすい表現だと思っています。
不便を楽しむと聞くと、我慢強さや根性論、あるいは「全部自分でやらなければならない暮らし」を想像されることが少なくありません。しかし、エコロキアが考えている不便とは、そうした自己犠牲のことではありません。

不便を楽しむとは、あらゆる工程を自分一人で背負い込むことではなく、「どこに関わり、どこを手放すか」を自覚的に選ぶことです。無垢フローリングやウッドデッキ、レジンテーブルといった天然木の素材は、確かに完成品ではありません。季節で動き、使い方で表情が変わり、手を入れなければ劣化も進みます。そこには明確な余白があります。

ただし、その余白をすべて施主が引き受ける必要はありません。むしろ、すべてを自分でやろうとすると、余白は一気に「負担」や「不安」に変わります。エコロキアが大切にしているのは、不便そのものではなく、不便の中にある「関与できる余地」です。その余地が、自分の手に余らない範囲に収まっているかどうか。ここを見誤らないことが、不便を楽しめるかどうかの分かれ道になります。

関われる範囲を見極めるということ

エコロキアの仕事は、「余白を全部お客様に渡すこと」ではありません。むしろ逆で、どこまでをお客様が関わり、どこからをエコロキアが引き受けるのかを整理することに価値があると考えています。

例えば、無垢フローリングやウッドデッキのDIY。

「自分で貼ってみたい」
「自分で作ってみたい」

という気持ちは、とても健全ですし、否定するものではありません。
ただ、天然木には、DIYではどうしても関われない領域が存在します。含水率の管理、木取りの考え方、施工後の動きの予測、屋外での耐久性設計などは、経験と知識の蓄積がなければ判断できません。

エコロキアは、その「手に余る余白」を引き受ける存在です。

工務店や設計士に対しても同じで、天然木を使いたいが判断に迷う場面、仕様をどう組むべきか悩む場面で、素材の背景から施工後のリスクまで含めてサポートを行っています。さらに、国内外からの木材輸入や、日本の市場に合う形での商品開発まで手がけているのも、余白を放置しないためです。

自分が関われる部分は自分で引き受ける。
しかし、手に余る部分は、信頼できるプロに委ねる。
この境界線をきちんと引けているかどうかが、天然木と長く付き合えるかどうかを左右します。

エコロキアらしさとは、派手な主張ではなく、この余白の引き受け方そのものに表れているのだと思っています。

ヘンテコな営業車は、思想の延長線にある

クルマも、素材も、仕事も同じ

古いベスパやルノー4GTLは、
単なる移動手段ではありません。

エコロキアが、

  • どんな価値観で
  • どんな距離感で
  • どんな覚悟で

仕事をしているのかを無言で伝えてくれる存在です。

余白を選ぶという生き方

便利さや効率を否定するつもりはありません。
ただ、そこに少しだけ余白を残すことで、暮らしや仕事は、もう一段深くなります。
エコロキアは、そんな「余白のある選択」をこれからも大切にしていきます。

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