あなたの街の大きな木イチョウ

鶴岡八幡宮の「親」銀杏と「子」銀杏(つるおかはちまんぐうのおやいちょうとこいちょう):神奈川県鎌倉市

あなたの街の大きな木

先日、出張で神奈川県川崎市に訪れた際に少し早く仕事が片付いたので、久しぶりに巨樹巨木を求めて鎌倉市まで行ってみました。

まず最初に訪れた鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、神奈川県鎌倉市に位置する歴史ある神社で、多くの観光客や参拝者が訪れる名所です。

この神社には、日本の歴史や自然の美しさを象徴する「親」銀杏と「子」銀杏という特別な木が存在します。
その物語と魅力について、今回は詳しくご紹介します。

鶴岡八幡宮と「親」銀杏の歴史

「親」銀杏は、鶴岡八幡宮の社殿前に長らくそびえ立ち、800年もの間、この地を見守ってきたとされる大銀杏のことを指します。

この銀杏は、樹齢千年を超えるとも言われ、鎌倉時代から多くの人々に親しまれてきました。
その大きさや存在感は圧倒的で、参拝者の目を引く神聖な存在でした。

「親」銀杏が持つ歴史的逸話

この銀杏には、日本史の中でも重要な事件と深く関わる逸話があります。
鎌倉幕府を開いた初代将軍・源頼朝の子孫である第3代将軍・源実朝が1219年に暗殺された「鶴岡八幡宮の階段事件」です。この事件では、実朝を襲撃したのは公暁(くぎょう)という僧侶(実朝の甥にあたる人物)がこの銀杏の陰に隠れていたといわれています。

そのため、「隠れ銀杏」としても知られていました。

このように、「親」銀杏は日本の歴史に重要な役割を果たしただけでなく、その存在そのものが、過去と現在をつなぐ象徴とも言えるでしょう。

2010年の倒木事故

しかし、「親」銀杏は2010年3月10日未明に突然倒れてしまいます。
幹が腐朽していたことや、長年の自然環境の変化が影響し、大風によって倒れる結果となりました。長い間鎌倉の象徴として親しまれてきた銀杏の倒木は、多くの地元民や観光客に衝撃を与えました。

とはいえ、この「親」銀杏の物語はここで終わりません。

「子」銀杏の誕生と再生への歩み

倒れた「親」銀杏の根元から新しい芽が生え、これが現在「子」銀杏として育っています。

この再生の物語は、「親」銀杏の生命力の強さを象徴し、訪れる人々に希望と感動を与えています。

鶴岡八幡宮では、この「子」銀杏の成長を大切に見守っています。
新たに植え替えられた「子」銀杏は、参道を訪れる人々にその力強さと未来への希望を伝えています。

「親」銀杏の再利用と鎌倉の文化

倒木した「親」銀杏の幹や枝は、ただ伐採されるだけでなく、鎌倉の文化財や記念品としてさまざまな形で再利用されています。
一部は保存され、鶴岡八幡宮の歴史を語る展示物として使われています。
また、木工製品や記念の品として活用され、訪れる人々にその歴史を伝え続けています。

このように「親」銀杏の存在は、物理的に倒れた後も人々の心の中に深く根付いています。

「親」と「子」銀杏が教えるもの

「親」銀杏の倒木は一つの時代の終わりを象徴する出来事でしたが、そこから新たな命が生まれるという再生の物語は、多くの人々にとって希望の象徴となっています。
銀杏の生命力は、どんな困難な状況でも再び立ち上がる力を私たちに教えてくれるかのようです。

また、親木から受け継がれた生命が「子」銀杏として新たに根付き、育っていく姿は、自然界の循環と持続可能性の大切さを示しています。
この教えは現代社会における環境保護や持続可能な未来を考える上でも大きな示唆を与えてくれるものです。

訪れる際のポイント

鶴岡八幡宮を訪れる際には、「親」銀杏がかつてあった場所と、現在育つ「子」銀杏をぜひ見てください。以下は見どころです。

  • 旧「親」銀杏の根元: ここでは親木の力強い存在感と歴史の重みを感じることができます。
  • 「子」銀杏の成長: 若々しい緑が再生と未来の希望を象徴しています。
  • 参道と社殿の景観: 歴史ある鶴岡八幡宮の魅力を背景に銀杏を見ることで、その物語がより深く感じられるでしょう。

鶴岡八幡宮と銀杏の未来

鶴岡八幡宮の「親」と「子」銀杏は、ただの樹木ではなく、歴史と自然の力強さ、そして人々の思いが込められた特別な存在です。この二つの銀杏の物語を知ることで、鶴岡八幡宮を訪れる楽しみがさらに増すことでしょう。

もしあなたが鎌倉を訪れる機会があれば、この銀杏の木々に思いを馳せ、時代を超えて受け継がれる自然と文化の物語を感じてみてはいかがでしょうか。

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